スペシャルインタビュー「働くということ」

ハマモトトロピカルフルーツワールド
代表
濱本久允
笹川祐子

ヒルトンホテルの予約担当支配人としてグアムに移住し、事業家を経て現在は農園の経営者である濱本氏。事業家へ転身後、バブル経済の追い風もあり、巨万の富を得たがその後一文無しへ。人生の絶頂からどん底へ落ちながらも、そこから這い上がってきた濱本氏にとって働くということはどういうことなのか、お話をお伺いしました。

ハマモトトロピカルフルーツワールド 代表濱本久允 Hamamoto Hisamitsu
社名 ハマモトトロピカルフルーツワールド
URL http://www.hamamoto-guam.com
設立 1996年
事業内容 農園経営(6万坪:東京ドーム15倍の面積)
働くということ
+01
笹川 濱本さんにとって働くということはどういうことでしょうか?
濱本代表 私にとって、働くということは「修練の場」ということになります。お坊さんの修行でもそうですが、日々単純なことを繰り返すことに意味があるんです。その繰り返しの中で、多くのことを学べると私は考えております。簡単で単調な仕事は飽きますが、ただそれを日々継続してやり続けることにより、勤勉さ、忍耐、謙虚な気持ちが身につきます。
私は、卓球が好きなので卓球を例に申しますと、例えば素振りを毎日2000回やるとした場合、500回・1000回でやめずに2000回やりきることで達成感を得られますし、次の日はもっとうまくラケットが振れるようになる。単調なことのくりかえしの中で、快感や技術の向上が得られる。しかも、頭だけでなく体でもわかるようになるのです。
「日常の中に、全ての喜びがある」。幸せとは特別に外からもたらされることではなく、何気ない日常の中にあるものだとそんな心境になりました。

グアムに渡った経緯
+02
笹川 濱本さんが、グアムに渡った経緯を教えていただけますか?
濱本代表 私がグアムに渡ったのは、27歳の頃。戦後の何もない時代で、当時20代で海外に行くという人はいませんでした。学生時代私は、とあるカラー写真に目がとまりました。その写真には、ヨーロッパのとてつもなくきれいな風景が映っていたのです。私は、「こんな世界があるのか。将来ヨーロッパに行ってみたい」と考えるようになりました。ただ、当時は1ドル360円の時代。海外なんて夢のまた夢でした。しかし、そんなときに1冊の雑誌に出会いました。それは、『ホテル王ヒルトン』という雑誌です。その雑誌を読み、優秀なホテルマンになれば、海外のあらゆるホテルで勤務できるということがわかりました。ホテルマンになれば、ヨーロッパに行くチャンスがあるかもしれない。私はそう考え、両親の反対を振り切り、東京ヒルトンに入社したのです。そして下積みを経て人事に抜擢、そこから4年間の働きぶりが認められ、各国ホテルの人事を任されるようになりました。この頃には、「うちのホテルで働かないか」と、各国のホテルより声をかけられるようになっていました。そしてついにミュンヘンオリンピック開催の年にドイツへ渡ることを決意し、ビザの申請を進めていました。しかし、オイルショックの影響でビザの申請がうまくいきません。1年間、ビザの発行を待つことになった時、グアムヒルトンの支配人より「うちで働かないか」と声がかかり、「ヨーロッパには、グアムでの契約が終わってから行こう」と、支配人の申し出を受けることにしたのです。

事業家への転身について
+03
笹川 その後、ホテルを辞めて事業家へ転身されたのはなぜでしょうか。
濱本代表 グアムに渡り、本当に多くの方々と出会いました。不動産事業家から日本の大手商社マンなどいろんな人との付き合いの中で刺激を受けて、自分でも事業をやってみたい、ホテルマン以外の人生にチャレンジしてみたいと思うようになりました。ヒルトンホテルを退職した後、ITCホテルでのお手伝い・トヨタレンタカーの海外第1号店の所長・経営コンサルタントを経て、身の振り方を考えていた時に、ナウル共和国の大統領と話をする機会がありました。そこで大統領に「世界に通じるホテルを一緒に作らないか」とお誘いいただき、それを契機に日系大手総合商社と手を組んで不動産開発事業を進めていったのです。そして、事業が順調に進み巨万の富を得るまでになりました。順風満帆にステップアップしていた時、一人の事業家仲間である香港の大富豪とラスベガスに出かけました。その方のお金の使い方は想像を絶するほどで、何と一晩で7億円ものお金を使っていたのです。その時、その方が言った言葉、それは「私が使っているのは、お金じゃない。ただの数字なんだ。」。私はこの時、ハッと我に帰りました。このままではダメだ、自分の理想の生活はこんなものではない、と考えるようになっていたのです。

農園経営について
+04
笹川 そこから突然農園経営へとシフトされましたが、何かきっかけはあったのですか?
濱本代表 私が裕福な暮らしをしていた時、知り合いからお土産をもらったんです。以前の私なら心から感謝していたはずですが、その時は全く嬉しく感じませんでした。それだけでなく、何をもらっても何を買っても満たされない状況でした。事業家としての成功で、経済的な成功を勝ち取ることはできましたが、そこに精神的な幸福はありませんでした。昔の貧しい時は、汗水たらして一生懸命に生活し、何事にも感謝の気持ちを持っていましたが、今はその微塵もない。かつての心境を取り戻すには、やはり自然とともに生活することだ考え、農業にチャレンジすることを決意しました。
やればやるほど成果が出る農業という仕事にのめりこんでいきましたが、いくら野菜を作って販売しても赤字続き。5年もの間、ほとんど収入がない状態でしたが、不思議とプレッシャーや肉体的なつらさはありませんでした。けれどこのまま、ただただ百姓をやっていても限界がある。それであれば、せめてグアムへの旅行者にこの農園を見に来てもらえないかと考えるようになりました。そして早速、銀行からお金を借りて農園施設を作ったのです。しかし施設開園から1年経っても、お客さんはまったく来ません。赤字も膨れ上がり、もう駄目かと考えていた時に、大型ハリケーンが襲来。農園すべてを失い絶望のどん底に突き落とされました。しかも、銀行もお金を貸してくれず万事休すという状態の私に、手を差し伸べてくれた方がいました。それは当時のグアムの知事でした。知事からの融資により、事業を復活させることができたのです。この時の感謝の気持ちは決して忘れません。

若い人へのメッセージ
+05
笹川 最後に若い人へのメッセージをお願いします。
濱本代表 世の中には色々な病気がありますが、たいていは病院に行ったり、薬を飲んだりすれば、症状は和らぎます。しかし、人の心の中にある謙虚さや勤勉さは誰も治療してくれません。成功する人としない人のわかれ道は、ここにあると私は思います。人生で成功したとしても、決して謙虚な気持ちや勤勉さを失わないこと。何よりもこのことが大事です。
体育系の学生にもよく話すことなのですが、人生というのはスポーツと同じです。例えば、スポーツの試合で、かなり点数差をつけて勝っていたとしましょう。ここで点数に開きがあるからといって油断をしたり、はたまた逃げに入ったりすると必ずと言っていいほどひっくり返されるのです。人生も同じで、たとえその時成功していたとしてもそれに奢らず、油断せずに努力を続けていないと成功は持続しないのです。社会に出て、出世をしても必ず謙虚さを持ち続けてください。それがなければ、必ず最後に負けてしまうのです。
それから、人生は何が起こるかわかりません。むしろ挫折を繰り返した方が、結果的に好転することもあります。また、物事が順調に進んでいる時ほど危険であったりもしますので、決して奢らず謙虚な気持ちで、日々精進して欲しいですね。

インタビューを終えて笹川より

濱本さん、ご多忙の折ありがとうございました。

「お金や物じゃない、日常の中に全部喜びがある。」このお言葉に大変感銘を受けました。
グアムに訪問させていただきましたが、お宅にはご自身で作られた大きな焼き物の窯があり、一つ一つのものに濱本さんの思いがこめられていました。

「謙虚さを失う。勤勉でなくなる。これらは医者には治せない。成功しても消えていく人。成功し続けられる人の違いはこういうところにあると思う」貴重な生きたお話をありがとうございました!

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